「水に流す」の意味とは|由来と、無理に流さなくていい理由
「水に流す」とはどんな意味の言葉なのか、川や禊にまつわる由来をわかりやすく紹介します。そのうえで、過去のわだかまりを無理に流そうとしなくてよいこと、書いて整理するという別の道を、落ち着いたトーンでお話しします。
文・三森 捷暉
「もう終わったことだから、水に流そう」。そう言われても、簡単には割り切れないことがあります。この記事では、「水に流す」という言葉の意味と由来、正しい使い方までていねいにたどったうえで、無理に流さなくてよい、という考え方をお話しします。
「水に流す」とはどんな意味の言葉か
「水に流す」とは、過去のいざこざやわだかまりを、なかったことにして、互いに恨みを残さないようにする、という意味の慣用句です。流れる水がものを押し流していくように、過ぎたことにいつまでもこだわらない——そんな姿勢を表しています。
もめごとのあとに「今回のことは水に流しましょう」と使われるように、関係を仕切り直すための、前向きな言葉として親しまれてきました。過ぎたことを引きずらない潔さが、この言葉の魅力とされています。ポイントは、単に「忘れる」のとは少し違うところです。忘れるのが記憶がうすれていく受け身の変化だとすれば、「水に流す」には、恨みを残さないと自分で決める、という意思のニュアンスがこめられています。
由来は「禊」の思想にある
「水に流す」の由来には諸説ありますが、もっとも広く語られるのが、川の流れがけがれや災いを洗い流すという「禊(みそぎ)」の考え方に結びつくという説です。日本では古くから、清らかな流水がよくないものを運び去ってくれるという感覚がありました。
その感覚は、暮らしのなかのさまざまな風習にも表れています。ひな祭りのもとになったとされる「流しびな(雛送り)」は、人形に自分のけがれや災いをうつして川に流すならわしでした。神社を訪れたときに手水舎(ちょうずや)で手や口を清める作法も、この流水への信仰の名残です。水がけがれを洗い流すという感覚が、やがて人と人とのあいだのわだかまりにも重ねられ、「水に流す」という言葉になったと考えられています。もとは、とても清らかな祈りの発想だったのです。
使い方と、似た言葉との違い
実際の使い方としては、「積年のいさかいを水に流して、また一から付き合おう」「昔のことはお互い水に流そう」のように、こじれた関係を仕切り直す場面で用いられます。多くの場合、双方が歩み寄ることが前提にある言葉です。
似た表現に「なかったことにする」「帳消しにする」がありますが、これらは事実そのものを打ち消す響きが強いのに対し、「水に流す」は、出来事は認めたうえで恨みだけを手放す、という趣が残ります。英語では過ぎたことを water under the bridge(橋の下を流れ去った水)や let bygones be bygones と表しますが、日本語の「水に流す」が禊という清めの発想を土台にしているのに対し、英語の言い回しは「もう過ぎ去って戻らない」という時間の流れに重心があります。同じ水のイメージでも、宿している思想が少し異なるのは興味深いところです。
無理に流さなくていい
一方で、この言葉には気をつけたい面もあります。深く傷ついた出来事ほど、水のように簡単には流せません。それなのに「早く水に流しなさい」と急かされると、消化しきれない気持ちに、さらに「流せない自分が悪い」という自責まで重なってしまいます。
心理学では、感情を無理に抑え込むと、かえってその思いが強く反すうしやすくなることが指摘されています。許しについても、外から強いられた「水に流し」は表面的なものにとどまり、心の奥のしこりは残ったままになりがちです。「水に流す」は本来、誰かに強制されるものではありません。気持ちが自然に整ったとき、結果として静かに起きるものです。流せないうちは、無理に流そうとしなくてかまいません。まずは、何が許せなかったのかを、そのまま言葉にしてみるところから始められます。
ゆるせんという、流さない場所
「ゆるせん」は、許せなかった相手を、あなただけの静かな帳面に綴じておくためのアプリです。無理に水に流すのではなく、いったん書いて、区切りをつける。誰にも見せない前提で、感じたままを綴じておける場所です。
流すか、流さないか。それを決めるのは、あなた自身のペースでかまいません。書き出して眺めるうちに、気持ちの輪郭がはっきりし、いつしか手のなかの熱がやわらいでいく。整理がついたそのときに、もし心が軽くなっていれば、それが誰にも強いられていない、あなた自身の「水に流す」なのだと思います。
許すことを急がなくていい、という考え方については、許す必要はない、という選択についてもあわせてご覧ください。
FAQ
よくある質問
Q.「水に流す」とはどういう意味ですか。
過去のいざこざやわだかまりを、なかったことにして、互いに恨みを残さないようにする、という意味の言葉です。流れる水がものを押し流していくように、過ぎたことにこだわらない姿勢を指します。もとは日本の水にまつわる信仰と結びついた表現とされます。
Q.「水に流す」の由来は何ですか。
諸説ありますが、川の流れがけがれや災いを洗い流すという「禊(みそぎ)」の考え方に由来するとされます。清らかな流水がよくないものを運び去るという古くからの感覚が、人と人とのわだかまりにも重ねられ、この言葉になったと考えられています。
Q.過去のことを水に流せない自分は、心が狭いのでしょうか。
そうではありません。深く傷ついた出来事ほど、簡単には流せないのが自然です。「水に流す」は強制されるものではなく、あくまで気持ちが整ったときに結果として起きるものです。流せないうちは、無理に流そうとせず、まず何が許せなかったのかを書き出して整理してみてください。
この記事を書いた人
三森 捷暉みつもり かつき
株式会社スリスタ 代表/ドヤマーケAI 運営
実務で使えるAIサービス群「ドヤマーケAI」を運営し、記事・広告・営業・人事からAI検索可視化までを手がける。YouTubeチャンネル『SaaSは死にましぇん』を発信。許せない気持ちを閻魔帳に綴じるアプリ「ゆるせん」の企画・開発者。
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